国富論の読書会、参加してきました。

大阪・森之宮にて、アダム・スミス「国富論」読書会に参加しました
国富論の読書会に参加してきました。場所は大阪・森之宮、いつものくるみ亭です。
実は私、国富論と資本論を間違え、大失敗でみんなで大笑い!資本論の1)をダウンロードし、書店にて資本論を検索、文庫本、などはなく、マンガ版の資本論はありましたので、それを購入、電車の中で読んで参加したのでした。
「えー!?資本論じゃないの??」とみんなで大笑い。
資本論はマルクスが書いている本、国富論はアダム・スミス。作者も全くちがいます。
そもそも、国富論を読書会に選んだのは、先日行った出口治明さんの講演会終了後、出口さんが「古典を読みましょう!」と言われていたからです。くるみさんから「1冊古典を選ぶとしたらなんですか?」と質問したところ、「国富論です!」と即答されていたので、国富論の読書会となった次第です。現代、私達の生きている資本主義の原型が書かれているとのことでした。
国富論を持ってこなかった私ですが、文庫本の国富論を持ってきてる方がいたので、お借りして、参加することができました。まず30分静かに読んでから、読んだ感想をみんなでシェアしましす。
国富論のまず第一章を読みました。第一章は「分業」についてです。得意なことをすることがいいと、よくストレングスファインダーの勉強会でも学びますが、国富論でも同じことが書かれています。
そして、心に残った点は、その当時のイギリスでも、都市部では少子化で貴族は2-3人しか子供が産めない、貧困の農村部では女性が20人子供を産むという事実。その頃から当然だったのですね。また、土地の価値が、農産物を産むか、鉱山などがあるか?また質のいい鉱山を当てられるか?100人に一人しか、鉱山は当たらないという事実でした。
次回は本当に、国富論を読みたいと思います。当時のイギリスでも、基本は同じですよね。